クリパル・エクスプレス」Vol. 39(2009.10.21発行)より

当然かもしれないが、マッサージなどのボディワークを受けるのが大好きだ。体調がよくなるばかりか、自分の体に意識を向けることが、ヨガや瞑想をしている時とよく似ているからだ。

ヨガのように1人で自分の体を動かす時には、どうしても、自分の意図的な動作が必要になる。やりたければどんどんやればいいし、やりたくなければいつでも止められる。コントロールが利き自由でもある。それだけに下手をすれば自分の欲に翻弄される。

一方、人に施してもらう場合は、その意図的な作業が不要になり、受け身になって観ているだけでいい。ただし、施術者からの刺激に対してある程度の注文はつけられるものの、基本的には無防備となり、そこで起きることに対しては、かなりの部分「受け入れざるを得ない状況」におかれる。

刺激を受け、息が詰まりそうな圧迫感や痛みを感じると、思わず体が固くなる。「もうダメだ」と降参して息を吐くと、それなりに体の力が抜け「あれ、大丈夫だった」と思うことの連続だ。そもそも、「体を固くしていたのは、自分の抵抗だった」ことや、「降参するほどまで闘って何してる?」という滑稽な自分にも気づく。
抵抗に気づいて、呼吸して、リラックスする。そして、そのまま感じ続けていれば、まだまだ大丈夫。そればかりか、体の奥から緊張が解放されてくるし、呼吸もどんどん深くなる。内面に注意を向け、ただ、起きている感覚を感じていると、自分の中に可能性が限りなく広がってくるようにさえ感じられる。

降参という言葉を、”give up” と訳せば、ただの「諦め」や「負け」を意味するが、”surrender”と訳すと、途端にスピリチュアルな響きになる。ヨガを始めた頃に出会ったアメリカ人のヨガ教師に、”surrender” という言葉の意味を質問したことがある。「それはヨガを理解するキーワードなんだ」と微笑んでくれたが、その真意は説明してくれなかった。何十年も経った今、それは大きな存在に自己を委ねる栄誉ある降伏なのだと思えるようになってきた。

一見、コントロールする自由もなく「受け入れざるを得ない状況」の中で、”give up” するか、それとも、大きな力に委ねて”surrender”するかで、意志に反して服従するか、主体的に関わり続けるかという分かれ道が生まれる。

ヨガでいう自己変革とは、その微妙な狭間で起きる意識変革のことなのだろう。