クリパルヨガ教師トレーニング(YTT)

Yoga of Life
クリパルヨガ関連ニュース

よくわかる!ちょこっとヨガ講座

「クリパル・エクスプレス」Vol. 47(2010.3.15発行)より

前回は、ヨガをはじめとする精神修養の多くは、実践者を肉体的にも精神的にもギリギリの切羽詰まった瀬戸際の「エッジ」へ導き、盲目的に反発したり、抵抗したり、逃げたりする心の反応に気づかせ、その元になっているサンスカーラを取り除くことにあるという話をしました。

さて、今回は、クリパルヨガでは、ここの部分をどう手法として実践するかという話です。つまり、どうしたら実践者を心身の「エッジ」へ導き、心の盲目的な反応に気づき、そこから自分を自由にしていけるかです。もし、それが可能であるなら、実践者の中にトランスフォメーション(変革)が起きることも十分に考えられます。続きを読む

Toshiのつぶやき

「クリパル・エクスプレス」Vol. 46(2010.2.27発行)より

2006年に公開されたピクサーのゴールデングローブ賞最優秀アニメーション受賞映画『カーズ』(Cars)が、最近、我家全員を虜にしている。

主人公は、ピストン・カップを争うシーズンの最終レースで、初の新人チャンピオンを狙うライトニング・マックィーン。自信過剰で身勝手な行動が周囲から反感を買い友人や仲間がいない。カリフォルニアへ移動中にルート66沿いの田舎町に迷い込み、心優しい住人達と触れ合う中で、スピードやかっこ良さだけでなく、人を思いやり力を合わせて生きていくことの大切さなどに気づいていくというもの。

その中のワンシーンで、こんなことが語られている。

「かつて道路は自然の景観に沿って作られていた。しかし、今は、たった10分短縮するために山や渓谷が削られた、、、まっすぐに走るハイウェーに車は流れ、昔の街道沿いの町並みは見捨てられてしまった。今は、楽しみに行く為にドライブしている。昔は楽しみながらドライブしていた、、、」続きを読む

よくわかる!ちょこっとヨガ講座

「クリパル・エクスプレス」Vol. 45(2010.2.3発行)より

「ある行為が原因で、次の行為に結果として繋がる」という因果の法則をカルマと呼びます。そして、ちょうど、道路の輪立ちに、たくさんの車が通過すればするほど固くなるように、ある行為が次の認識を生み、さらに新しい行為に繋がるという一連のパターンは、何度も反復される度に強くなり、しだいに似たような境遇に何度もおかれるという体験をします。

ここをもう少し掘り下げると、ある状況に心が反応して次の行為を生むという、心の反応パターンが曲者です。心が決まりきった反応パターンを何度もしていくうちに、そのパターンから外れた認識や行為が難しくなってきます。こうして、私たちの認識する世界観や人生観が形成され、さらに、その固定観念に束縛されていくわけです。続きを読む

Toshiのつぶやき

「クリパル・エクスプレス」Vol. 43(2009.12.16発行)より

今年ももう2週間足らず。何も師走に限ったことではないが、歳を重ねるごとに年月の流れが早く感じる。このペースで過ぎて行くのかと、残りの人生に目を向けると、時間がとても大切に感じられる。この感覚がつきまとい、日頃から自分を急かすかのように「人生は短い」とつぶやいていた。

それが、先日、1歳8ヶ月になる自分の子供と遊んでいたら、何だか突然に、その感覚が違ってきた。これからこの子が歩んでいくだろう限りない程に多くの体験を想像していたら、思わず「人生って長いなー」とつぶやいていた。

でも、本人はそんな時間の長さを知るわけもなく、よちよち歩きで得意そうにボール投げを始めたかと思ったら、小さな蜘蛛が動くのを見て急に怖がって立ちすくむ。大声で泣いたかと思ったら、次の瞬間には屈託ない笑いが響く。何てピュアーなんだろう。

人生を短く感じようが長く感じようが、現実に起きているのはこの瞬間だけ。分かっているのに、過去や未来を確かめることばかりで、この瞬間の体験から離れてしまう用心深い自分。子供は神に一番近いと誰かが言っていた。せめて、この子と共に時間を過ごすことで、自分の中の神にもう少し近づきたいと思う。

よくわかる!ちょこっとヨガ講座

「クリパル・エクスプレス」Vol. 42(2009.12.2発行)より

本来、カルマとは、いいものでも、悪いものでもありません。それをどう受け止めるかは、非常に個人的で異なるものです。本人がどう受け止めていくかによって、カルマがよくも悪くもなるのです。

例えば、自分がヨガクラスを指導したとします。たまたま、そのクラスには数人しか集まらず、自分の指導法には問題があるのかと思うと、その判断により自信を失い、次のクラスでは、神経質になり過ぎて集中力が欠け、メリハリのない指導になってしまうかもしれません。

現実に起きた体験は、「数人の参加者がいるヨガクラスを指導した」ということであって、それ以上でも、それ以下でもないはずです。参加者が数人だったことの原因は、指導者のクラスや指導法に対する生徒の評価、クラスの時間や場所、参加した理由、しなかった理由はさまざまでしょう。結果には原因があるとは言え、その原因は無数の要因によって成り立っているので、最終的には、一つだけの要因に絞ることは難しいものです。
続きを読む

よくわかる!ちょこっとヨガ講座

「クリパル・エクスプレス」Vol. 40(2009.11.2発行)より

今回から、カルマについて考えてみます。

カルマという言葉には、そもそも行為という意味があります。一つの行為によってある体験をすると、その体験から一つの認識が生じます。この認識の仕方が、また、新たな行為に繋がるというわけです。この行為と認識が、お互いに原因と結果になる法則をカルマと呼びます。

つまり、カルマとは、すべてのことには、原因があり、結果があるという因果の法則のことです。水の中では、重い物は沈み、軽い物は浮かぶという自然現象があるように、人生にはカルマという自然の摂理があるのです。

一般的に、私たちが苦難に出会ったり、幸運に恵まれると、過去の行い、カルマによるものだとする見方があります。因果の法則により、すべての出来事には原因があるとは言え、不幸な目に会っている人に「行いが悪いからだ」などと断定的な判断をすることはとても危険なことです。

また、結果に対する原因は、無数の要素が絡んでいることが多いので、一つだけを原因として特定することは不可能に近いことです。自分のおかれた境遇において、その原因はどこにあるのかと謙虚に探求する姿勢は大切であっても、その原因は最終的に分からなくてもいいことだと思います。早急に決めつけることは、事実を歪めてしまうことにもなるからです。(続く)

Toshiのつぶやき

クリパル・エクスプレス」Vol. 39(2009.10.21発行)より

当然かもしれないが、マッサージなどのボディワークを受けるのが大好きだ。体調がよくなるばかりか、自分の体に意識を向けることが、ヨガや瞑想をしている時とよく似ているからだ。

ヨガのように1人で自分の体を動かす時には、どうしても、自分の意図的な動作が必要になる。やりたければどんどんやればいいし、やりたくなければいつでも止められる。コントロールが利き自由でもある。それだけに下手をすれば自分の欲に翻弄される。

一方、人に施してもらう場合は、その意図的な作業が不要になり、受け身になって観ているだけでいい。ただし、施術者からの刺激に対してある程度の注文はつけられるものの、基本的には無防備となり、そこで起きることに対しては、かなりの部分「受け入れざるを得ない状況」におかれる。

刺激を受け、息が詰まりそうな圧迫感や痛みを感じると、思わず体が固くなる。「もうダメだ」と降参して息を吐くと、それなりに体の力が抜け「あれ、大丈夫だった」と思うことの連続だ。そもそも、「体を固くしていたのは、自分の抵抗だった」ことや、「降参するほどまで闘って何してる?」という滑稽な自分にも気づく。
続きを読む

よくわかる!ちょこっとヨガ講座

「クリパル・エクスプレス」Vol. 38(2009.10.1発行)より

ヨガ(=繋がること)とは、さまざまな関係性の中で生きて出会う現実に対して、自ら「関わろう」という主体的な意志と、その体験に対して「受けとめよう」というオープンな心の安定や信頼を育む道のりだと思う。

クリパルヨガでいうステージ1の強い意志によって立ち向かうコミットがあって、初めてステージ2から3の心をオープンにしてプラーナ・エネルギーを受け入れる準備ができる。

そして、ステージ3のテーマである「委ねる」という体験には、まず心が「オープン」であること。そのためにはリラックスしていること。リラックスした空間があるから、起きていることをしっかりと感じ取り、観ていられる。さらに「受け入れる」こと。

続きを読む

Toshiのつぶやき

「クリパル・エクスプレス」Vol. 37(2009.9.15発行)より

スタジオに行く日を利用して、休憩時間にマッサージを受けにいくことがある。場所は、清潔で静かであるに越したことないが、洒落てなくシンプルでいい。大切なのは、安心してリラックスできる環境であること。迎えてくれる受付は、不自然に明るく振る舞う必要もなく、予約時間を間違わずに気持ちよく迎え入れてくれたらそれでいい。

クラスの合間のちょっとした心身の休息とリフレッシュが欲しいのだから、ふつうのマッサージで十分だ。ただ、状況によってはこのささやかな望みがかなえられないことがある。

マッサージ中に次から次へと話しかけられると休息にならない。「ここはどうですか」「痛かったら遠慮なく言ってください」「今度はこちらをほぐしますね、、、失礼します」「どうですか」「強すぎないですか」「きつくないですか」延々と続く質問攻めで、その度に沈黙が破られ、自分の心が体に集中できない。
続きを読む

よくわかる!ちょこっとヨガ講座

「クリパル・エクスプレス」Vol. 36(2009.9.1発行)より

ゲシュタルトセラピーという心理療法の創始者フレデリック・パールズは「退屈とは集中力の欠如した状態だ」と述べている。

物事に興味が湧かず、つまらなくて、何が面白いのか理解できないで退屈することがある。自分にとっての高校時代は、無気力・無関心が蔓延る退屈な日々だった。注意散漫で集中しないから、何をしても物事の表面ばかりしか見えず、その奥にある面白さが分からない。周囲が無味乾燥したものに映るだけ、そのこととの関わりが薄れ、いつも孤独感を味わっていた。

続きを読む
  • ライブドアブログ